101年目からの松平頼則 I



第24回<東京の夏>音楽祭2008 参加公演
101年目からの松平頼則 I
日本音楽史上の奇蹟:松平頼則を聴く 〜新古典作品から前衛作品まで〜


2008年7月16日 開場:18:45 開演:19:15
杉並公会堂 小ホール(JR中央線 東京メトロ丸ノ内線 荻窪駅北口より徒歩7分) 
全席指定:前売り3000円、当日3500円

チケット取り扱い:ローソンチケットLコード:34163)
0570-000-407(オペレーター対応 10:00-20:00)
0570-084-003(自動)
座席の指定方法についてはこちら
主催:<101年目からの松平頼則>実行委員会
後援:上野学園大学
協賛:<東京の夏>音楽祭 SONIC ARTS
助成:財団法人 アサヒビール芸術文化財団 財団法人 ローム・ミュージック・ファンデーション 
演奏曲目(全曲松平頼則作品):

「フリュートとピアノのためのソナチネ」(1936)
木ノ脇道元(fl)、井上郷子(pf)

「ピアノ・トリオ」(1948)
阪中美幸(vn)、 多井智紀(vc)、 萩森英明(pf)

「蘇莫者」(1961)
木ノ脇道元(fl)

「呂旋法によるピアノのための3つの調子」(1987/91 第2.3曲は独奏版世界初演)
井上郷子(pf)

「音取、品玄、入調」(1987)
木ノ脇道元(fl)、神田佳子perc)

#これは2008年実施の第一回コンサートの細目です。本年(2009年)7月16日実施の第二回コンサートについては、このブログの最新の日付をご覧ください。

101年目からの松平頼則 I 曲目解説原稿

明日のコンサートで配布予定の曲目解説原稿を載せます。松平氏の生涯の紹介に、当日演奏される作品の解説が挟まれるような形になっています。
#これは2008年実施のコンサート・プログラムに載せた解説です。本年度(2009年)実施の第二回コンサートの細目については、このブログの最新の日付をご覧ください。
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1907年5月5日、宮内省猟官をつとめた松平頼孝子爵の長男として生まれた松平頼則は、慶應義塾大学の仏文科に在学中の1925年秋、フランスのピアニスト:ジル・マルシェックスが帝国ホテルにて開いた6夜に亘る演奏会を聴いたことを機に音楽家を志した。梶井基次郎の掌編小説「器楽的幻覚」の題材ともなった、この一連の演奏会は、松平に音楽作品を単体としてではなく、音楽史というダイナミズムの中でとらえる視座を獲得させたのである。これを機会に音楽家として目覚めた松平は、以後、2001年10月25日に94歳で没するまで、突端の作曲家としての矜持を持ち続けることになる。

音楽を志すとともに、ピアノをラウルトップに、和声学、対位法、楽式論などをヴェルクマイスターに師事した松平だが、ヴェルクマイスターのレッスンには「オーソドックスでほとんど何のプラスにもならなかった」と手厳しい。さらに、小松耕輔にも作曲を師事したが、「殆ど独学で作曲を習得した」と言っても過言ではない師事ぶりだったという。1930年には、清瀬保二、箕作秋吉らとともに「新興作曲家連盟」を設立。当時のドイツ音楽に重きを置いていたアカデミズムに対峙する、フランス音楽に傾倒した在野のモダニストたちが世に出ようとしていた。松平は当時ピアニストとしても活躍し、1934年に「指の回転に限界を感じて」作曲に専念するまでに、4回のリサイタルを開いてもいる。

1935年には、作曲家アレクサンドル・チェレプニンの主催による作曲コンクール「チェレプニン賞」に「パストラル」(1935)にて第2席入賞(第1席は伊福部昭の「日本狂詩曲」)。チェレプニンは松平の「前奏曲二調」も認めて、海外にてレコードの吹き込み、楽譜の出版も行っている。「フリュートとピアノのためのソナチネ」が作曲されたのはこの頃である。

●「フリュートとピアノのためのソナチネ」(1936)

「新興作曲家連盟」を設立した松平らは、海外から毎月のように当時の「現代音楽」の楽譜取り寄せ、これを筆写することで最新の音楽語法を身につけていた。「フリュートとピアノのためのソナチネ」には、そうした中で松平が出会った、フランスの6人組の一人:プーランクからの影響が色濃く表れている。しかしながら、最初の小節から1小節を3つに割るリズムと4つに割るリズムが混在するなど、後の松平のポリリズム/ポリテンポ志向の萌芽ともいえる箇所もあり、決して単純な模倣とはなっていない。初演は1936年、岡村雅雄と松平自身のピアノによる。松平頼曉氏によれば、この作品の第3楽章には一度チェレプニンの手が入り、それをうけて松平はさらに改訂を行ったとのこと。第3楽章はプーランクの「オーボエ・バソン・ピアノのためのトリオ」に似た軽快さで始まるが、これがロシアの舞曲レスギンカに似ているのは、チェレプニンの手が入ったためと考えることも出来るだろう。

1930年代、ヨーロッパの音楽言語と日本の音楽言語を結びつけることは、当時の日本楽壇におけるモダニスト達の重要な課題であった。松平もまた、このことに独自の姿勢をもって取り組むものの、彼には泥臭い情念的な表現を心底嫌う性分があった。ゆえに、三味線の音色が嫌い・・。松平が素材として打ち込める日本の音楽は限られていたのである。そうした中、松平は最も洗練された日本の音楽芸術の一つである雅楽に出会った。雅楽の典雅な響きとその様式美は、松平の心を捉えて離さず、1942年の「セロ・ソナタ」以降、松平は一貫して、雅楽とヨーロッパ最新の音楽語法を結びつけることを、その創作の中心に置くことになる。

●「ピアノ・トリオ」(1948)

松平は、まずプーランクフランス六人組ラヴェルストラヴィンスキーに代表される新古典主義的な音楽語法を雅楽と結びつけようとし、1940年代を通じてこの志向を洗練化していくことになる。この「ピアノ・トリオ」は、松平の新古典作品の集大成といって良い作品で、1948年、鈴木共子(ヴァイオリン)、鈴木聰(チェロ)、田中立江(ピアノ)によって初演された。「フリュートとピアノのためのソナチネ」と比べると、厚く堆積した和声の平行進行が増え、作品から進行感を奪っていることが特筆されよう。このことが、音楽を前へ前へと進める西欧の機能和声的な進行感から作品を自由にし、いかにも、雅楽的停留的で典雅な時間感覚を付与しているのである。第一楽章では、こうした和声の上でヴァイオリンとチェロの旋律線が、転調をしながらヘテロフォニックに絡み会う。第二楽章は希薄な和声進行感の中で極限まで引き伸ばされた歌が印象的。第三楽章は終始変拍子で進行し、その中でピアノと弦楽器がそれぞれ異なったリズムを与えられているストラヴィンスキーを思わせる楽章。本日の演奏では、上野学園所蔵の手稿譜より起こした譜面が使用されている。

 1952年、松平はその第三変奏に12音技法を使用した「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」(1951)によって、ISCM(国際現代音楽協会)の世界音楽祭に入選。作品はイタリアのツェルボーニ社より出版され、一躍世界へと躍り出た。「主題と変奏」はカラヤンが指揮した唯一の日本人作品である。雅楽の旋律線に沿って音列をとり、これを用いて作品を組織することで、無調音楽を組織する方法論である12音技法と、元来旋法的な雅楽という素材を、松平はギリギリのところで調停することに成功した。以後、この方法を三段跳びに深化され、「左舞」(1958)では、音高に加えて、楽曲のリズム、ダイナミクスまでも音列にて制御する総音列技法が、極めて独自の方法で運用されている。そして、こうした作品によって、松平は西欧音楽の嫡子たるメシアンブーレーズにも影響を与える地平へと立ったのである。

 1950年代の終わりになると、松平の作品には、さらにアレアトリー(管理された偶然性)という要素が加わることになる。1951年、ケージが「易の音楽」によって音楽へと導入した偶然性。このケージの試みは、ヨーロッパにおいてもセンセーションを巻き起こし、かの地にも偶然性という概念を独自に消化しようという試みを始めた。彼らは、偶然性という新しい概念を、西欧音楽におけるテンポ選択の自由度のように、より作曲者の意思に引き寄せたものとして扱おうとしたのだった。このアレアトリーという用語は、賭けを意味するフランス語:Aleaにちなむものである。

●「蘇莫者」(1961)

この作品は雅楽を仲立ちにした全面的なアレアトリーの導入例である。曲中の14箇所で断片化された素材の演奏順を奏者が選択し、あたかもパッチワークのように組み立てることが求められる。その結果として生じるこの作品の演奏パターンの総数は1京(1兆の1万倍)を超え、奏者は無限ともいえるこれらの組み合わせの中から自分だけのバージョンを作ることを求められている。しかしながら、ロールプレイングゲームで展開する物語が、プレーヤー固有のものであると同時にゲーム作者のものでもあるように、この作品もまた、どのような組み合わせで演奏しても松平頼則の作品以外のものではない。素材となる雅楽の「蘇莫者」は、役(えん)の行者が下山途中に笛を吹いていると、そのすばらしい笛の音に合わせて山の神が老猿の姿になって舞った姿を舞にした、という由来をもつ龍笛の名曲。2拍子と3拍子の複合拍子である夜多羅拍子(やたらびょうし)を持つ楽曲である。それゆえか、松平の「蘇莫者」もまた、多くの断片が2拍子と3拍子で書かれ、どのような組み合わせをとっても大まかに5拍子が連続するような仕組みとなっている。初演は1961年9月、S.ガッゼローニによる。本日演奏するのは、ツェルボーニより出版されている楽譜に、松平氏自身がフルート奏者の小泉浩のために書き下ろした、短い序奏部分を付加したものである。

 松平は、12音技法から総音列技法、そしてアレアトリーといった西欧前衛最先端の技法を、次々と雅楽へと結びつけて行ったが、決して単なる流行の後追いではなかった。松平は「調子のひょうひょうとした捉えどころの無い音の群れ」とでも言うべき、己が求める音像を生み出すために西欧前衛へと接近し、その音像のイメージゆえに、他の誰とも違ったやり方でこうした技法を運用することが出来た。そうした方向性での松平の最高到達点の一つが、1971年に作曲された二群の管弦楽のための「循環する楽章」であることは疑いないが、この作品を発表して後、1970年代の半ばに松平氏は大病を患い、その反動もあってその作風は一転厳しい極限的なテンションに満ちたものとなる。1980年代の松平の創作は、そうした厳しい作風から元のひょうひょうとした作風へと回帰する流れの上にあったともいえるだろう。

●呂旋法によるピアノのための3つの調子(1987/91)

 1991年、自身のリサイタルで「6つの前奏曲」(1975)を弾こうとした井上郷子に、むしろこちらを弾いて欲しいと、松平は1987年に書かれた2台ピアノのための「6つの調子」から音を選び出し、ソロピアノのための「呂旋法によるピアノのための3つの調子」「律旋法によるピアノのための3つの調子」を再作曲した。これらは、何れも70年代末期の松平作品を思わす、極めて峻厳な作品であり、基本的には12音列で出来ているものの、特定の音を極端に引き伸ばすことにより、楽曲に中心音が生まれて極めて薄い旋法性が漂っている。また、長二度の重ねや、トリルといった、松平がその弟子にすら禁じていたピアノ書法が控えめに使用され、個々の調子を彩ってもいる。独奏版は、Iのみ2005年に井上郷子によって初演され、残りの2曲については今夜が世界初演となる。使用楽譜は、井上郷子が松平頼則本人より献呈を受けたものである。

●音取、品玄、入調(1986)

 こう書いて「ねとり、ぼんげん、にゅうちょう(あるいは、にゅうじょう)」と読む。もともとはフルートと打楽器のために作曲された作品であるが、松平は作曲後程無くして、これのピッコロと打楽器のための版を作成した。双方の打楽器パートは全く同一であるものの、ピッコロパートについては、特に後半の「入調」部分では再作曲といって良いような変更がなされている。自由な12音技法によって書かれ、冒頭の「音取」は、ピッコロが音列の12音を呈示するのみの短い楽章。間奏曲的な「品玄」を挟んで、「入調」では厳格に記譜された打楽器のリズムが、ときにグラフィックな記譜(当パンフレットの表紙を参照されたい)まで援用して流動化する。打楽器奏者が叩く8つの楽器は全て皮膜打楽器で、これは雅楽の楽器である鞨鼓の音を拡張したもの。しかしながら、楽器は意図して多彩なものが集められ、同種の楽器が持つ微妙な音色の差異に聞き入ることが求められている。ピッコロ版の初演は、1987年に小泉浩と山口恭範によってなされているが、フルート版初演の記録はない。この作品でも、上野学園所蔵の手稿譜より演奏譜が起こされている。

 1987年以降の松平は、以後松平のもとを訪れたソプラノ歌手:奈良ゆみの協力もあり、肉感的な声が微分音程内を揺らめく極めて特異な声楽曲を作曲し続け、2001年に94歳で逝った。未初演のオペラ「宇治十帖」をはじめ、松平頼則の知られざる傑作はまだまだ眠っている。<101年目からの松平頼則>実行委員会は、今後も年1〜2回のコンサートを重ね、こうした松平頼則の傑作から、新古典作品から前衛作品まで幅広く紹介していく予定である。次回以降にも是非お運び頂きたい。

謹告 

謹告

ローソンチケットからの前売りチケットの予約は終了いたしました。これよりの予約は主催者がメールにて承りますが、お席の選択はご来場時に会場受付にて行っていただく(予約された方は、当日券を前売り価格で購入出来るような形です)ことになりますのでご了承下さい。

matsudaira101@live.jp

まで、

1、お名前
2、枚数
3、ご住所
4、電話番号

を記入の上、お申し込み下さい。

なお、当日券の販売は開場15分前からとなります。16日の午前7時(延長いたしました)までに申し込みをされた方は前売り料金にて精算させて頂きます。

ご住所等の個人情報は厳正に管理し、この予約業務以外の用途には決して使用せず、公演後には速やかに破棄させて頂きます。

#これは2008年度のコンサートで行った謹告です。2009年度のコンサートのチケットは、現在ローソンチケット等で発売中です。

晩年の松平頼則氏の写真など

最晩年の松平頼則氏のご友人であった竹島善一氏より、東中野の仕事場での貴重なお写真をお借りしてきました。

ピアノの譜面立てや壁面には、1989年以降の松平氏の声楽曲が一つの例外もなくこの方のために書かれたという、奈良ゆみさんの写真なども見えます。

車椅子席についてのご案内

会場には車椅子用のお席が4席ありますが、こちらにつきましてはチケット委託先であるローソンチケットでは取り扱いをしておりません。こちらのお席をお求めの場合は、主催者ishizukaアットweb-cri.com(アット→@へ置換下さい)までご連絡下さい。

松平頼則の作品について

企画者の一人である石塚が、松平頼則という作曲家と、その新古典期までの作品についてのレビューを書きました。よろしければご覧下さい。

http://www.soratobuniwa.com/hobby/music/index12.shtml

また、それ以後の松平頼則の歩みについては、こちらをご覧下さい。

http://www.arion-edo.org/guide/prize/shibata/2002/matsudaira_yoritsune.pdf